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インパクトばかり追うと、バカになる

先日、川端龍子展に行きました。 そのなかに《爆弾散華》という絵がありました。 とても大きなの日本画で、爆風で野菜の茎や実、花がねじられ、ちぎれ、吹き飛ぶ様が、金の装飾とともに描かれてました。 とても、インパクトがある絵でした。 明らかに戦争のさなか、爆弾で亡くなった人や家屋、大切なものの象徴として、野菜が描かれてますが、しかし、絵自体はとても、美しく、優美です。 これが、人間の姿で描かれていたらどうでしょう? きっと、インパクトは物凄くあったでしょうが、《爆弾散華》を見たときのような切なさや哀しみはそれほど感じられなかったと思います。 直接的な表現はインパクトはありますが、それほど記憶にとどまりません。 なぜなら、驚いたことに意識がいって、「なぜ驚いたのか?」 という思考にまで行き着かないのです。 《爆弾散華》のような静かだけど、その奥に秘められた意味に想いを馳せるとき、初めて人はじっくりと考えることができるのだと私は思います。 インパクトがあるものばかり追っていては、感情に流されるばかりで、物事を考えなくなり、バカになります。 分かりやすいものばかりではなく、 分かりづらいものに向き合っていきたいものです。 ------------------ 川端龍子は日本画家ですが、当日の日本画にしては、とても大きな作品を作っていて、「会場芸術」と揶揄されたりしました。 つまり、大きな作品で目を引き付けて、大衆向けを狙ってるという揶揄です。 川端はそういう揶揄に屈することなく、「会場芸術」という言葉を使い、大きな作品を作り続けました。 大衆が望んでるのもを作って何が悪い? 大きな迫力ある絵を描いて何が悪い? 繊細で優美なものだけが、日本画ってわけないだろ? という考えがあったんだと思います。 今の現代アートにつながるようなダイナミックな作品は、全く古さを感じません。 川端龍子展(山種美術館) http://www.yamatane-museum.jp/exh/2017/kawabata.html

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