直接関係がないけど、深いレベルでつながること-「川端康成コレクション 伝統とモダニズム」展


少し前ですが、今、東京ステーションギャラリーで開催されている「

川端康成コレクション 伝統とモダニズム」を観ました。

私も知らなかったのですが、川端は美術蒐集家としても有名で、なんとのちに国宝に指定された作品が2点もあるんです!凄すぎる!!

やっぱり、目利きだったのですね~。

しかし、そんなに美術を愛した川端ですが、本人は美術評論はしなかったんです。

本人が著書にも書いてますが

“私は美術を愛するが、美術について書くことは自戒、禁制として能ふ限りそれをまもろう”などと書いてます。

しかし、川端は美術のことを直接批評したり、その物について書いたりはあまりしませんでしたが、物語や文章のなかには、多くの美術作品が登場し、その物語に深みを与えているんですね。

詩人の まどみちおさんのように詩人が絵を描いたり、

画家の岡本太郎さんが本を書いたり、

ということをされてきたのを、読み聞くと

言葉の限界やもどかしさに追い込まれた詩人が言葉のない絵を描くことで、新しい世界を見つけようとしたり

絵の限界やもどかしさに追い込まれた画家が気分転換や新しい表現を思考する

そういう、一助にしてきているんだなと思います。

画家でエッセイシストでも有名な 野見山暁治さんが絵を描くのと、文章を書くのは違う、というようなことをおっしゃっていました。

絵も文章も、同じ、「表現をする」という行為ですが作者の内面で行われる、製作のプロセスが違うってことでしょうね。

でも、その全く違く分野のものをすることが、行き詰まった仕事を展開し、打破していく底力となるんですね。

結局、ダンス教えてる人はダンスばかりやっていてもダメだし、

仕事を極めたい人はそればかりやっていてもダメ、

プロって、だいたいきわどい高いレベルで切磋琢磨してるので、技術的な差なんて甲乙つけがたいところまでいってるんですよね。

そうなると、ほんの少しのセンスや思考の差しかなくなるわけです。

その時に、その人がどういう生き方をしてきたか、どういう知識や文化を学んできたか、というそういう、膨大な世界観の差になってくるんでしょうね。

◆メルマガ:世の中の闇と光を哲学とアートで暴け「楽園の毒蜜信書」 https://www.mshonin.com/sp/?id=545445107

追伸。

そう考えると、私なんぞがアートについて語るなんてほんと、おこがましいんです。

ホント、それは100も承知でなんですが、だからといって何も言わなければ、100万分の1さえも、アートの面白さを周りに伝えることは出来ません。

アートの専門家には超バカにされると重々承知で、描いてるわけです。トホホ

そういう意味で、好き勝手かけるのは素人の強みなんですね。

■川端康成コレクション 伝統とモダニズム展 | 東京ステーションギャラリー

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201602_kawabata.html

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